河内木綿の買取り相場はオークションではいくらなの?
江戸時代から生産されていた河内木綿を売ることを検討しているなら、まずは買取り相場を知っておきましょう。
河内木綿をネットオークションで売るケースを調べてみると、最高値は江戸時代のもので60,000円でした。
逆に最安値ははぎれが100円程度で落札されています。
もちろんこれらの数字は目安に過ぎません。
河内木綿を高く売るのならその価値が分かる査定員のいる着物買取店に見てもらうのがおすすめです。
こういったお店は無料査定をしてくれるので、提示額に満足なら売ることを考えてみましょう。
河内木綿の特徴を徹底解説
河内木綿は江戸時代~明治時代初期にかけて、河内地方で栽培される綿を使って手織りした木綿のことを言います。
綿が日本で栽培されるようになったのは、戦国時代と言われる15世紀末頃です。
当時は朝鮮半島から輸入してもらうことでしか木綿を手にすることはできなかったため、とても貴重な高級品として扱われていました。
丈夫で保湿性があることから新しい衣料生地に採用され、普及し始めたと言います。
木綿の原料となる綿は次第に国産化が試みられるようになり、日本の三河地方などでも作られるようになりました。
河内地方で栽培されるようになった時期ははっきりとは分かりませんが、江戸時代始め頃には既に綿栽培が始まっていたようです。
18世紀に入ると綿作りが盛んになり、さらに木綿織りが発展します。
18世紀半ばには九宝寺村の耕地のうち約7割が綿を植え付けていたと言われています。
九宝寺や八尾などには木綿を扱う商人が次々に増えて、仕入れや売買の競争が激しくなりました。
やがて高安山麓の商人仲間の中で、商売方法について取り決めを行ったと言います。
明治時代に入ると外国から安い値段で糸や綿が輸入されるようになり、手紡ぎから工場の機械で大量生産できるようになりました。
外国の綿に比べて河内の綿は糸が太く短いため、機械で紡ぐことがとても難しくなりました。
さらに化学染料が使用される藍などの植物染料が少なくなってきたことで、河内木綿は明治30年頃終わりを告げることになります。
河内木綿の模様は多種多様にありますが「河内縞」と呼ばれる縞柄が代表的な模様です。
また、型染して表現される「菊花唐草文」は紺地に細かな模様を全体的に施した日本古来の文様も親しまれています。
婚礼の際に用いられる蒲団地には吉祥的な鶴亀や鳳凰などおめでたい絵柄が豪快に描かれています。
河内木綿は糸が太く生地も厚いことから、繰り返し洗っても布地が丈夫で滑らかです。
そのため古くからのれんや布団、足袋、酒袋などにも重宝されてきました。
現在生産されている河内木綿は、絹糸20番以下の糸で製織りしています。
河内木綿を高値で売るコツ
河内木綿は糸が太くとても丈夫な綿で作られていますが、色の濃いものは色褪せや毛羽立ちが起こりやすいです。
汚れや傷など状態が悪いと価格にも影響するので注意してください。
高値で売るには、買い手選びも重要です。
買い手に河内木綿の知識が無いと思わぬ安値で売ることになる事もあり得ます。
河内木綿を高値で売るのなら、専門知識豊富な着物買取店に鑑定してもらいましょう。
こういったお店は宅配での買取りや訪問査定に対応しているので非常に便利です。